天国の孝ちゃんへのメール 東北の震災から6年

2017年03月11日(土) 00時01分
  孝ちゃん。
  東北の震災から6年の月日が過ぎました。

  本当に忘れることの出来ない出来事です。
  しかしながら東北に住んでいない僕たちの心からは
  あの出来事がほとんど消え去っています。

  君が旅立ってから8カ月後のことでしたね。
  あの頃は自分よりも不幸な人間はいない!と思い込んでしまっていました。

  でも、あの震災でたくさんの人が亡くなり
  たくさんの人が絶望のどん底に突き落とされました。

  僕もブログの更新を行う気力を失い、  
  1ケ月もの間 東北のことばかり考えていました。

  たくさんの人が見つからない家族を探している光景を目にしました。
  石巻市の生協職員だった森照行さん。
  行方不明になった奥さんの洋子さんを探しあてられたのかな?

  森さんが毎朝、僕と同じように奥さんに
  「おはよう、どこにいるの?」
  とメールを送っていると聞いた時には胸が締め付けられました。

  今、被災地から非難した子供たちが
  そこで<いじめ>にあっているという話を聞きました。

  わずか6年でこんな風潮が蔓延するということが信じられません。
  今一度東北がどんな状況にあるのか?
  教育の場でしっかりと教えて欲しいと思っています。

  まだまだ生活の糧が得られない被災者の方がたくさんいます。
  公的な支援をもっと充実させて
  以前の生活が取り戻せる状況を構築して欲しいです。

  僕自身があの震災の悲惨さを心に取り込んでしまい
  立ち直ることが出来なくなってしまっていました(苦笑い)

  東北の人はすごいパワーを持っていますよ!
  あれだけの出来事があったというのに前に向かって進んでいます。

  僕と大違いです。
  僕はまだ完全には立ち直っていませんからね(笑)

  僕が完全に立ち直るのはいつになるのかな~
  未だに笑うということがほとんど出来ませんからね(笑)
  ここでは(笑)と書けるんですけどね。

  今TVで東北の映像が映し出されています、浪江町です。
  辛いながらも笑顔が溢れています、卒業式の場面です。

  これから故郷のために頑張っていくと言っています。
  若さっていいですね。

  浪江町が昔の姿を取り戻すことを願っています。

  Anytime I'm thinking of you!
  
  

  
  
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2017-03-11(Sat)
 

天国の孝ちゃんへのメール 熊本地震の続き 2

2016年04月19日(火) 15時20分
  孝ちゃん。
  昨日の続きです。

  熊本県立大学の記事を拾って読んでいました。
  ちょっと強く非難してしまったかもしれません。

  ここでは学生さんたちが自身のことも顧みずボランティアにあたっていたようです。
  一時的な避難場所であったために公的な人材の派遣もなかったみたいです。

  そしてそのためかわかりませんが
  救援物資の配給も途絶えがちだったみたいですね。

  それでも県大生は自分たちが被災者であるにもかかわらず
  寝る間も惜しんで避難してきた方々のお世話をしていたとのことでした。

  現在、避難してきた方の多くは家が倒壊・半壊した方よりも
  その危険を憂慮して避難してきた方が多いとのことでした。

  そして大学は22日まで避難場所としての機能を継続する決定をしました。
  大学の英断には感謝したいと思います。

  大学としても学生の健康をも考えた決断を下していたのでしょうが
  学生からは継続の声がたくさん上がっていました。

  ここまで、そして現在も被災した方々をサポートしている学生のみなさんに
  たくさんの感謝の言葉を送りたいと思っています。

  Anytime I'm thinking of you!

続きを読む>>

2016-04-19(Tue)
 

天国の孝ちゃんへのメール 熊本地震の続き

2016年04月18日(月) 16時22分
  孝ちゃん。
  熊本の地震の被害が広がっています。

  熊本のこの惨状は目を覆いたくなります。
  尊敬する<肥後もっこす>は絶対に立ち直ることを信じていますが
  今この時が一番つらい時期だと思うのでたくさんの支援を続けて欲しいです。

  それなのに熊本の県立大学が避難場所の解除を決定したそうです。
  学生の講義に支障が出るということらしいです。

  避難場所には短期の避難場所と長期滞在できる非難所があるそうで
  この大学は避難場所だったそうです。

  何を考えているんだ~!
  ここの学長は教育者なのか~!

  いろんな事情があることはわかります。
  しかしながらこの状況で、まだ捜索活動が行われている中で
  よくもこんな判断が出来たものですね!

  いまこそ教育の原点を学生に教えることが出来る時なのに
  勉強だけが大学の役目ではないんだぞ~!

  こんなことを言っては怒られますが
  きっと学長は熊本の人間ではないのかもしれない。

  知事さんが首相の屋内避難指示に噛みつきました。
  あれが<肥後もっこす>なんです。

  君が学長だったら学生を総動員して
  被災した人を助けたことは間違いありません。
  僕も同じ行動を取ったでしょう。

  この学長も教育の原点、  
  これをもう一度考え直して欲しいです!

  Anytime I'm thinking of you!
2016-04-18(Mon)
 

天国の孝ちゃんへのメール 熊本の地震

2016年04月17日(日) 01時31分
  孝ちゃん。
  久しぶりにメールを送ります。

  熊本で大変な地震が起きました。
  これだけはメールしなければと思いました。

  以前にも言ったとは思いますが
  僕の人生の岐路に於いて僕は熊本にいた可能性がありました。

  大学受験において、最初は九州大学の受験を目指していました。
  ところが数学の点数があまりにも悪かったために
  ワンランク落として熊本大学を受験することになりました。

  そして受験です。
  しかしながらやはり数学の点数が届かず落ちてしまいました。

  あの時は家を出て進学することしか頭にありませんでした。
  鹿児島大学には合格していたのですが
  家から通学することに対して心が拒否していました。

  そして私学で合格した関西大学に進むことを決意したのでした。

  もしあの時に熊本大学に合格していたら
  間違いなく熊本へ行っていたでしょう。

  そして卒業しても鹿児島に帰るという選択はなく
  熊本で就職していたのは間違いありません。

  そうしたら、君と出会うという運命の歯車が
  噛み合うことはなかったのです。

  そしてもしかしたら地震の災害地に住んでいたかも?
  という可能性はじゅうぶんにありました。

  それを考えた時に、
  人の運命はわずか少しの違いで変わってくるんだな~
  って思ってしまいました。

  なぜ、こんなメールを送ったのかというと
  あの地震の映像を見た時に
  まるで僕がそこにいるかのような既視感を感じたのです。

  間違いなく僕の人生の分岐点のひとつが
  あの受験のときにあったのだと確信しました。

  神様の悪戯が僕たちを結びつけてくれたのでしょうか?
  これが運命だといえばそれまでですが、
  あの既視感には身震いを覚えてしまいました。

  熊本は鹿児島の人間にとって尊敬の念しかありません。
  熊本は九州の中でも別格の地位を形成していると思っています。

  裏表の全くないそんな雰囲気を感じます。
  弟(故人)が熊本で一度家を購入したのもそれを感じたのではないのでしょうか?

  熊本の皆様がこの地震から強く立ち上がり
  前に向かって進んでいくことを願っています。
  そして可能な限りの応援を行いたいと思っています。

  Anytime I'm thinking of you!

  
2016-04-17(Sun)
 

天国の孝ちゃんへのメール 阪神淡路大震災

2016年01月17日(日) 03時15分
  孝ちゃん。
  今日はあの阪神淡路大震災から21年です。

  その後、東北でも大震災が起こりましたが
  この時の体験は当時としては未曽有のものでしたね。

  あの時僕たちは大阪北区のマンションの5Fに住んでいましたが
  尋常の揺れではありませんでした。

  慌てて店に行ってみるとシャッターの下から液体が流れ出ていました。
  シャッターを開けると上の棚に展示していた高級酒が
  ほとんど落ちて壊れていましたね。
  被害額は100万円を優に超えていました。

  それでも神戸の人の被った被害にくらべれば微々たるものでした。
  そして三日後には軽トラに水を積んで東灘へ走っていました。

  そして知り合いの人のお兄さんが被災して
  あのマンションに数ヶ月入居してもらいましたね。

  この時もたくさんの悲しみを目にしました。
  店の前を通った子供連れの女性が悲しげに
  「家が無くなっちゃった」と言った言葉が忘れられません。

  21年で神戸の町はある程度復興していますが
  まだまだ立ち直れていない人がたくさんいます。

  目に映る復興したように見える神戸の町の陰に
  そんな人たちがいることを忘れないようにしたいです。

  Anytime I'm thinking of you!

  追記
  ブログで訪れてくださる方の中に親御さんが当時
  この東灘に住んでいらっしゃる方がいらっしゃいました。

  その方が当時の写真をたくさん掲載されていました。
  今更ながら当時の悲惨さが甦ってくる写真でした。

  そしてあの水を運んだ時に通り道で
  「どちらへ運ぶのですか?」と尋ねられました。
  「東灘小学校です」と答えたのですが
  その方も水が欲しかったのです。

  そのことに気づいた僕はその後もう一度走ろうとしたのですが
  交通規制によってそこへ行くことは出来ませんでした。

  
 
2016-01-28(Thu)
 

天国の孝ちゃんへのメール 震災から4年

2015年03月12日(木) 03時14分
  孝ちゃん。
  昨日は、あの東北の震災から4年の月日が経ちましたよね。

  いろんな人の思いを目にしました。

  潜水夫の資格を取得して奥さんを探し続ける人、
  まだ見つからぬ孫のためにお弁当を作り続ける人、
  みんなたくさんの思いを抱え続けています。

  あの石巻市の生協職員の森照行さん。
  奥さんの洋子さんは見つかったのかな~?

  毎日、僕と同じように奥さんにメールを送っていると書いてありましたよね!
  「おはよう、どこにいるの?」
  このメールは奥さんに届いたのだろうか?

  森さん、いつも気にかけていますよ。
  いつか石巻に行ったら会いに行きますからね!
  顔も住所も知らないけれど・・・・・・・・・・

  悲しみを抱えた人々が
  立ち直っていくことを願っています。

  anytime I'm thinking of you!

  
  
2015-03-17(Tue)
 

天国の孝ちゃんへのメール 東北大震災から4年

2015年03月11日(水) 02時14分
  孝ちゃん。
  今日で東北地方の震災から4年の月日が経ちます。

  いまだに10万人の人が
  故郷に帰れない生活を送っているそうです。

  明日もメールを送ると思いますので
  今日はこれで!

  Anytime I'm thinking of you!
2015-03-17(Tue)
 

天国の孝ちゃんへのメール 今日も一日ありがとうね

2014年03月13日(木) 03時00分     (一週間遅れの記事です)
  孝ちゃん。
  昨日の毎日新聞の夕刊に載っていました。

  岩手県陸前高田市広田町の
  藤野順子さんの記事でした。

  藤野さんは一人娘の紗央里さん(当時25歳)を
  東北大震災で亡くしました。

  そして震災後から娘に語りかけるように、
  毎日欠かさず日記をつけるようになりました。

  <2011年4月26日>
    紗央里に聞いてもらったり
    相談に乗ってもらうようなつもりで書きます。

    お母さんそうでもしなければ
    生きてく力がなくなってしまいそうだから。

    日記の1ページ目にはこう記されていました。

    藤野さんは元中学校教諭で
    夫と夫の両親、紗央里さんの5人家族でした。

    兄弟、姉妹のなかった藤野さんにとって
    紗央里さんは娘であり妹のような存在でした。

    日記をつけるのは就寝前。
    一日の大半を過ごす娘の部屋で娘が使っていた勉強机に向かう。

    写真立てに入った写真を眺めながら言葉を綴る時、
    娘を一番近くに感じるそうです。

  <2012・3・25>
    ちゃーちゃん(紗央里さんの愛称)
    今日から一年前、紗央里が水門で見つかった日だよね。

    よく帰ってきてくれたね。
    ありがとう。
    一人ぼっちにさせて悪かった、悪かった。

    日記をつけ続けるのは、それが自分にとって
    <生きるために必要なこと>
    だからです。

  藤野さんは日記!
  僕はメール!
  その違いはあるけれれど想いは一緒です。

  そういえば毎日、
  行方不明の奥さんにメールを送り続けている人がいましたね。

  石巻市の生協職員の森照行さん。
  <おはよう、どこにいるの? 待ってるよ>
  奥さんに会えたのだろうか?

  僕はメールの最後に同じ言葉を書いています。
  

  藤野さんも日記の最後はいつも同じ言葉です。
  <今日も一日ありがとうね>

  涙が溢れそうです。

  Anytime I'm thinking of you!

  
2014-03-21(Fri)
 

天国の孝ちゃんへのメール 東日本大震災

2014年03月12日(水) 02時25分     (一週間遅れの記事です)
  孝ちゃん。
  昨日、3月11日はあの大震災が起きた日でした。

  君が天国に旅立ってから8ヵ月後
  東北を大地震による津波が襲いました。

  当時僕は、君に送ったメールを
  ブログに掲載し始めて二ヶ月ほど経ったころでした。

  まだ心は闇の中にどっぷりと浸かったままでした。
  世界中で今、一番不幸な人間の一人だと思っていました。

  そして3年前の昨日、あの大震災が起きました。
  その惨状は凄まじいものでした。

  それからしばらくした時に
  僕はブログを続けることが出来なくなりました。

  たくさんの悲しみを目の当たりにした時に
  <自分が感じていた悲しみなんか比べものにならないぐらい小さいものだ>
  と思ってしまいました。

  約1ヶ月、ブログの更新がストップしました。
  FC2からも<ブログを再開してください>ってメールがきました(笑)

  いろいろ迷いましたが、
  <大切な人を失った悲しみに大きいも小さいもない>
  と気づきました。

  そして再びブログへの掲載を始めましたが
  しばらくの間は東北のことを気遣いながらのブログの進行でした。

  3年近く経って、僕は立ち直ることが出来ました。
  でも東北には立ち直れない人がまだまだたくさんいます。

  今の僕は生活に追われるばかりで
  東北のみなさんに何の貢献も出来ていません。

  今年から復興の歩みが加速しそうな気がします。
  少しでも後押し出来るように努力していきたいです。      (一週間遅れの記事です)

  Anytime I'm thinking of you!
2014-03-20(Thu)
 

天国の孝ちゃんへのメール 淡路島で地震

2013年04月14日(日) 03時01分
  孝ちゃん。  (一週間遅れの記事です)
  昨日の朝、地震がありました。

  5時33分だったかな?
  揺れが来る30秒ぐらい前だったかな?

  普段は何があっても目が覚めない僕が、目が覚めたんです!
  ただ単にトイレに行きたかっただけだったのかもしれません(笑)

  すると小さく、カタ、カタ、カッタンって感じがありました!
  次の瞬間、グラ、グラ、グラ~ンと揺れ始めました。

  震源が近かったらたいしたことはないだろうけど、
  震源がある程度遠かったら被害は大きいぞ!って思いました。

  TVを点けたら淡路島が震源でした。
  震度は6弱でしたが被害はそんなにひどくはないだろうと思いました。

  季節料理のまえ川のmae mikiさんが気になって
  携帯を使ってブログにアクセスしようとしたのですが
  たっぷり時間がかかってしまいました。(笑)

  君とよく行った五色浜と震災記念館の辺りだったみたいです。
  mae mikiさんのお店と淡路島に致命的な被害がなかったことを喜んでいます!

  Anytime I'm thinking of you!
2013-04-23(Tue)
 
プロフィール

Author:孝ちゃんのパパ
僕は鹿児島生まれの男性です。
大阪の大学時代に知り合った妻のたかちゃん(孝子)と子供たちと幸せにくらしていました。たかちゃんの命の灯が消えました。たかちゃんを忘れられず毎日メールを彼女の携帯に送り、今も送り続けています。
たかちゃんは岡村孝子さんと同じ孝子(たかこ)といいます。

リンクはフリーです。
連絡しなくてもいいですよ。

外国から訪れてくれた方へ!
翻訳機能に不備があり、
<たかちゃん>が<たかし>と翻訳されますが
<たかちゃん>は女性です。

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